牧師 高橋勝義![]() |
飢饉は厳しく、エジプトから持ち帰った穀物も底をつくと、父は、また食糧を少し買って来るように言います。すると、ユダが「もし弟を私たちと一緒に行かせてくださるなら、私たちは下って行って、お父さんのために食糧を買って来ましょう」と答えますが、ベニヤミンを手放せない父は「なぜ、もう一人の弟がいると言ったのか」と逆に彼らを責めます。
そのような中、ユダは毅然として「あの子を私と一緒に行かせてください。私自身があの子の保証人となります。私が責任を負います。」と父に言ったのです。このユダのことばに、イスラエル(ヤコブ)は覚悟を決め、贈り物としてカナンの名産、二倍の銀、さらに返された銀も持って行くよう指示し、「弟を連れて、さあ、その方のところへ出かけて行きなさい。全能の神が、その方の前でおまえたちをあわれんでくださるように。そして、もう一人の兄弟とベニヤミンをおまえたちに渡してくださるように。私も、息子を失うときには失うのだ。」と、全能の神にすべてを託したのです。(創世記43:1~15)
実はユダはヨセフを売った後、父のもとを離れて生活し、家族を持ちました。しかし、神を軽んじた息子二人を失い、さらに三男と長男の嫁タマルを結婚させなかったことから、神は嫁タマルにユダの子を宿らせ、彼に罪を示されたのです。ユダが父に覚悟の説得をした背景には、この苦い経験があったからです。もちろん、父もこの出来事を知っており、全責任を負おうとしているユダのことばに心動かされ、これまで自分を導いて来られた全能の神にすべてを託す決断をしたのです。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1:21)