牧師コラム 『罪を放置したルベン』 2021年8月1日

牧師 高橋勝義

今やエジプトの権力者となったヨセフは、弟ベニヤミンを連れてこさせる策として、兄たちにスパイの容疑をかけ、シメオンを人質として捕らえ、兄弟をカナンに戻します。

兄たちは父ヤコブに、自分たちはエジプトを探る回し者と疑われ、「おまえたちの兄弟を一人残し、飢えている家族に穀物を持って行け。そして、末の弟を私のところに連れて来い。そうすれば、おまえたちが正直者だと分かり、おまえたちはこの地に出入りができるようになる」と言われた、と報告します。さらに、持ち帰った穀物袋のすべてに支払ったはずの銀の包みが入れてあるのを見つけると、父をはじめ彼らはひどく恐れました。
身に降りかかる不幸を嘆く父ヤコブに、長男ルベンは「もし私がベニヤミンをあなたのもとに連れ帰らなかったら、私の二人の子を殺してもかまいません。弟を私に任せてください。この私が彼をあなたのもとに連れ戻します。」と説得しますが、父は「この子は、おまえたちと一緒には行かせない」と拒みます。(創世記42:27~38)

父ヤコブは、かつてルベンが自分の側女と不品行の罪を犯したことや、今回も「自分の子どもを殺してもかまわない」と軽率なことを口にする姿に不信を募らせたのです。
ルベンは罪に向き合わずに過ごしてきました。その罪の根は彼の言動を支配し、子どもの命をも軽んじる発言を招いたのです。罪を放置することは神を侮ることであり、ルベンの心は曇らされていったのです。このルベンの姿は、私たちの姿でもあります。

「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」(Ⅱコリント7:10)