牧師 高橋勝義![]() |
二十年の時が過ぎたとはいえ、ヤコブには兄エサウの怒る姿が昨日のことのように思い出され、故郷が近づくにつれ恐れは膨らんでいきました。そして彼は兄エサウの怒りをなんとか鎮めるために必死に知恵を絞り、前もって兄に使いを送ることにしたのです。
しかし、その使者の報告は「あの方も、あなたを迎えにやって来られます。四百人があの方と一緒にいます。」(創世記32:6)というものでした。
この報告を聞き、さらに恐れが増し不安に襲われたヤコブは宿営を二つに分け、「たとえエサウが一つの宿営にやって来て、それを打っても、もう一つの宿営は逃れられるだろう(創世記32:8)」、「自分の先に行く贈り物で彼をなだめ、その後で彼と顔を合わせよう。もしかすると、私を受け入れてくれるかもしれない」と新たな策を練りました。しかしどんな策も不安と恐れを解消することはできず、ついに彼は切なる祈りへと導かれたのです。自分は神の恵みとまことを受けるに値しない者であることを素直に認め告白し、しかし「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。私に『あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ。わたしはあなたを幸せにする』と言われた【主】よ。」(創世記32:9)と神の約束にすがったのです。
私たちは計画を立てるとき、様々な場面を想定し、考慮しながら計画を進めます。それは不測の事態に対処するためであり、計画を成功させるためです。しかし、どんなに練られた計画であっても想定外という不安や恐れを消すことはできません。
ヤコブも同様でした。それ故、彼はここまで自分を導いてくださった神の約束にすがり必死に祈ったのです。
「あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。」(箴言16:3)