牧師コラム 『人生の分岐点』 2021年3月14日

牧師 高橋勝義

兄との再会に向けて、ヤコブは贈り物など周到な準備をしますが、不安と恐れは全く解消されず、『わたしはあなたを幸せにする』と言われた神の約束にすがって必死に祈りました。

兄エサウに会う時が近づき、ヤコブは贈り物と一緒に家族を先に行かせます。それは神ご自身からの確かな保証を得るために、の前にひとり出て祈るためでした。ヤコブは神に祈りますが、この祈りの格闘は夜明けまで続きました(創世記32:24)。名が「押しのける」の意味の通り、ヤコブは自我が非常に強く、我を張り続けるために神は彼のももの関節を打ちますが、それでも彼はしぶとく祝福を求め続けました。

ヤコブと戦ったお方は「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエル(神は争われる)だ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」(創世記32:28)」と言われました。

『人と戦って、勝ったからだ』とは、ヤコブの戦いの真の相手は自分自身、すなわち彼は自我と戦い、その自我が打ち砕かれたのです。「どうか、あなたの名を教えてください」と願うヤコブに、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言い、その場で彼を祝福したのです。(創世記32:29)ももの関節を打たれた彼はこの時から、足を引きずるようになり、杖にすがる人生、神に頼る人生に変えられました。すなわち自分の弱さをありのまま受け入れ、自分の力で歩む人生から心から神に聞き従う信仰者の歩みをする者に造り変えられたのです。
それゆえ、ここが彼の人生の分岐点となったのです。

「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅱコリント5:17)」