牧師コラム 『神への信頼』 2019年4月28日

牧師 高橋勝義

イエス様が、神殿の献金箱に、献金を投げ入れる人々の様子を見ておられた時のことです。ある貧しいやもめが、レプタ銅貨を二枚投げ入れるのを見て「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、だれよりも多くを投げ入れました。あの人たちはみな、あり余る中から献金として投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っていた生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。(ルカ21:3,4)」と言いました。レプタは、貨幣の内で最小単位の銅貨です。しかも、「持っていた生きる手立てのすべて」とは、生活費全部ということになります。
金持ちの献金からすれば、やもめの献金は、はるかに少ない額ですが、やもめの事情を考えれば大金です。人がこの様な行動を取る時とは、将来に全く希望が見出せないので、この世を去ろうと考えていることが多いのではないでしょうか?
しかし、貧しいやもめには、そんな様子は全く見られません。

イエス様がお金持ちの献金について「あり余る中から献金として投げ入れた」と指摘されたのは、彼らが信頼しているのは、神ではなく、お金であったからです。
やもめの献金への姿勢には、これまでも同じようなことがあっただろうと思われます。その度ごとに、神に信頼する歩みを選び取り、日々の歩みが守られたことを経験してきているので、いつもの通りに、喜んで神に献金をお献げしたのです。
「金銭を愛する生活をせずに、今持っているもので満足しなさい。主ご自身が『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』と言われたからです。(ヘブル13:5)」
あなたの主人は、生きておられる神ですか、それとも、富ですか?