牧師 高橋勝義 |
人々に罪の悔い改めを解き、ヨルダン川でバプテスマを授けていたバプテスマのヨハネは、国主ヘロデの罪を指摘した故に投獄されていました。
ところが、パリサイ人や律法の専門家たちは、このヨハネを「パンも食べず、ぶどう酒も飲まずにいると、『あれは悪霊につかれている』(ルカ7:33)」と非難していました。
同様に、彼らは、イエス・キリストに対しても「食べもし、飲みもすると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』(ルカ7:34)」と言っていました。
パリサイ人や律法の専門家たちは、イエス・キリストが語っていることを理解していなかったのではなく、うすうす気づいていました。分かっていたのです。
しかし、彼らは、自分たちのプライドや地位・名誉を守ろうとする思いが強く、イエス・キリストの教えに素直に聞くことが出来なかったのです。
イエス・キリストは、そんな彼らの姿を見て『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、泣かなかった。(ルカ7:32)』と表現しました。彼らのどこに問題があったのでしょうか。
それは、「こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。』」(マタイ13:14)と記されている通りです。
イエス・キリストは、『たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。(ヨハネ10:38)』と語りました。
あなたを愛している神は、あなたのすべての罪をイエス・キリストに負わせ、十字架で処罰されたのです。そして、三日目によみがえり、死に勝利し、永遠のいのちを私たちに与えて下さったのです。
わざとは、イエス・キリストの〔十字架の死〕と〔よみがえり〕です。