牧師コラム 『閉じた心』 2017年3月19日

牧師 高橋勝義

私たちは、様々な経験をしながら人生を歩み、そこから、たくさんの知恵や知識を得ます。そして、問題が起きると、それらを用いて、乗り越えようとします。

しかし、そこには、勘違いや思い込みもあります。

人は、一度、「こうだ」と記憶してしまうと、間違いだと分かっていても、プライドが邪魔をして、その間違いを素直に正せなくなります。

ここで重要になってくるのが、「謙虚になる」という心です。

イエス・キリストが、ご自分の故郷に帰られた時のことです。

故郷に帰られる前に、ガリラヤへ行かれ、人々に神の国について教えました。人々は、イエス様の教えを喜んで聞き、イエス様を尊敬しました。

生まれ郷里ナザレの人々は、どうであったか?ガリラヤの人々のように、イエス様の教えを喜んで聞くどころか、丘のがけからイエス様を投げ落とそうとしたのです。郷里の人々には、イエス様を幼い頃から知っている事がかえってあだとなり、「大工の息子が救い主であるはずがない」と決めつけ、心を閉じてしまったからです。

十二弟子のひとりマタイは、『イエスは、彼らの不信仰の故に、そこで多くの奇跡をなさらなかった』(マタイ13:58)と書き記しています。

思い込みや先入観によって閉じた心は、イエス・キリストを正しく見ることが出来ないだけでなく、神様が与えようとしている素晴らしい約束を見出すことが出来ません。

思い込みや先入観を捨て、心を開いて聖書を読んでみてはいかかでしょうか?

イエス・キリストが、あなたにとってどんなお方かが見えてくるでしょう。