牧師 栗原延元 |
イエスの教えと行為を書き録す四福音書とも、詳しく記しているのがイエスの受けた苦難についてです。
その姿は実に誰しもが顔をそむけたくなるものです。
今回、学びますマルコの福音書の個所では、ローマの兵士たちがイエスの頭にいばらの冠を編んでかぶらせ、葦の棒で頭をたたいたり、顔につばきをかけたり、「ユダヤ人の王さま、ばんざい」と叫んで、ひざまずいて拝んだり、あざけりの限りを尽くしてから、十字架につけるために、ゴルゴダ(されこうべ)の丘に連れ出します。
救い主(キリスト)が来られたとき、人々は、彼にどのような事をするかは、キリスト降誕七百年も前に、預言者イザヤによって詳述されていました。
〈彼(キリスト)は、さげすまれ、人々からのけものにされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった〉(イザヤ53:3)。
キリストが何故に苦しまなければならないか、その理由を知っていた者は、イエスと同時代の者は誰もいなかったのです。
イエスが苦しまれたのは、人を罪と死から救う神の知恵なのです。
この救いの知恵は、イエスを信じる者に開示されるのです。