高橋勝義 |
「獅子の子落とし」。わが子に厳しい訓練を与え、その器量を試すことで一人前に育てることが出来るというたとえです。実際には、母ライオンは非常に子煩悩、父ライオンは見た目によらず、意気地がないためこのような事はないようです。
神の子であるイエス・キリストは、神から訓練を受けました。
イエス・キリストが受けたこの訓練は、私たちが直面する個々の問題に対して、何を選択すればよいのか、その基準を私たちに教えてくれます。
聖書は、『人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる(申命記8:3)』と語ります。「病は気から」とあるように、人は、心が健全でなければ、体を健康に保つことが出来ません。
神の御言葉に信頼して歩む時、心は健全になるのです。
また、『あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。(申命記6:13)』と語ります。人は、「権力と富」を追い求めますが、逆に、「権力と富」の虜になっているのではないでしょうか?
本当にお仕えできるお方は、私たちを造られた神だけです。
更に、『あなたがたの神、主を試みてはならない(申命記6:16)』と語ります。
私たちは、解決できないことが起こると、神々と取引するような願掛けをします。
聖書の神は、創造主の神であり、主権は、すべてこの神にあります。
この神の御手にすべて任せて歩む時、希望を持って歩めるのです。