牧師コラム 『いのちの系図』 2017年2月26日

 高橋勝義

 「どこの馬の骨とも分からない」者は、信用できない。 「馬の骨」とは、素性の分からない人のことです。つまり、素性の分からない者をあざけって言う言葉ですが、言われた方は、不愉快な気分になり、悲しくなってしまいます。
 ここは、その人自身の人柄を見て、判断して欲しいところです。
 ところで、聖書は、イエス・キリストの系図を記しています。
 この系図は、私たちを『いのち』に導きます。そのいのちとは、『永遠のいのち』のことです。
 イエス・キリストの父ヨセフから系図をさかのぼっていった初めの人アダムとエバは、神と共に歩む幸いな道を捨てて、自分の力で生きる道を選びました。この時から、人は、人との信頼関係を築けなくなり、更に、女は、生みの苦しみを負い、男は、額に汗して糧を得なければならなくなりました。そこで、神は、昔から、永遠の昔から救いの道を備えられたのです。
 その救いの道とは、私たちの罪の身代わりとなられるイエス・キリストをこの世に遣わすことでした。なぜ、神は、ここまでされるのか?それは、私たちを愛しているからです。
 この事を受け取り、信じる時、私たちは、『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)』とある約束を頂けるのです。
 ですから、イエス・キリストの系図は、私たちを『いのち』に導くのです。