栗原 延元 牧師 |
一レプタは当時イスラエルの最小単位の銅貨で、
一デナリ(一日の労賃)の128分の1に相当します。
ですから一レプタは、今の百円硬貨に当たるでしょうか。
このレプタ銅貨2枚をエルサレムの神殿に備えられていた献金箱に
投げ入れた人がいました。
この人は〈貧しいやもめ〉(マルコ12:42)でした。
その他大勢の金持ちが大金を投げ入れていました。
これがイエスの受難週の火曜日のおそらく夕方近くの頃ではなかったかと思います。
イエスは弟子たちを呼び寄せて、レプタ2枚を投げ入れたこのやもめを、
どの人よりもたくさんの献金をした人であると誉めました。
その理由がマルコ12:44に記されています。
〈みなは、有り余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、
あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。〉
この女は経済的には貧しくありましたが、信仰は豊かでした。
一日の生活費の全部を献げましたが、翌日からどのようにして生きるか
ということに対する思い煩いはなかったようです。
〈明日のための心配は無用です〉の御言葉(マタイ6:34)と
「明日を守られるイエスがおられる」の歌詞が私の心に響いていきます。