石巻福音自由教会 開設1周年記念特別礼拝

 kurihara_portraito  栗原 延元牧師

「きけや愛の言葉を、もろ国人らの」の朗々とした、力強く、
かつ情感に満ちた浅野洋介兄の賛美をもって一周年記念の礼拝が始まりました。

70名を超える人々が、あの仮設から、この仮設から、
そして仮設を出た人々も集まっています。
それらの人々に浅野兄の声量豊かな声によって
主イエスの愛のみわざが歌われているのです。
<イスラエルの賛美を住まいとしておられる>(詩篇22:3)方の臨在を
感じる礼拝です。

約4年半前の3月11日(金)大震災と大津波にみまわれたこの石巻市。
自然の圧倒的な力の前に、被造物である人間は、
否応なしにその被害を受け入れざるを得ませんでした。
天地は崩壊するであろう。しかし我が言葉は、決して力を失わないと
宣言される主イエスの言葉は、崩れゆく自然の前に大盾の如くに
主イエスに信頼する者の信頼を守り強めてゆくのです。
我らキリストにある者の歌声をかき消すものは無いのです。

黒人霊歌の「深い川を越えて」の歌詞が心に浸みてきます。
「ふかい河を越えて、さあ行こうよ。懐かしい心の古里さして、
めぐみの主の救いと平和を、友よ。さあうけようよ。」と
魂の奥にひびく、賛美の調べが新しくきれいな会堂一杯に歌われています。

テノール歌手 浅野洋介兄の四年に及ぶドイツ留学の成果が、
この歌声によく表現されていたようです。
絶望の苦悩、見えざる出口を捜し続ける黒人の煩悩が
聞く人々に伝わっているように思いました。

ここに集った人々は、あの津波によって家を失い、家族を亡くし、
仮設暮らしが5年近くにもなろうとして、今なお、明日の暮らしを
どう立て直していくのかの見当がつかない人々が大勢です。
そのような人々に、私は、ルカ伝から「どうしても必要なもの」と題して、
主イエス様のみことばを語りました。
人に起因し、人の口から語られる言葉は、たとえ、その人の背後に
国家があろうと、大企業がいようと、むなしいものです。
しかし、我らの主イエスは大いなる神です。
歴史の中に活きて働いておられる方です。
そのお方に「あなたは神です」と全的に信頼できるとは何という恵みでしょう。

この礼拝は、主の祈りによって閉じました。
「天にいますわが主よ。み名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ」と。
まさにこの日本に、東北、宮城の地の石巻の地にみ国を来たらせたまえと、
この礼拝に集った者の心が、ひとつ祈りのことばになって閉じられた
集いでありました。

集いの後には、森本馥姉の指導のもとに抹茶が振る舞われました。
甘い茶菓子、京都から駆けつけてくださったT夫妻の生八つ橋を
味わいながらの茶席での交わりでした。
伴奏の土川ゆかり姉のピアノの澄んだ音色は、ここで奉仕して下さる
兄姉の内面の美しさを集約しているようでした。

石巻教会の礼拝は第2周年目に入ります。
徐々にですが、礼拝に加わる人が増し加わり、集う人々の信仰が強められ、
賛美歌529
「ああうれし わが身も 主のものとなりけり。
うき世だにさながらあまつ世のここちす。」
がこのところから、響きわたることを願いつつ筆を置きます。

諸教会のお祈りとご協力に感謝しつつ。主にありて