牧師コラム 『心の割礼』 2022年2月27日

牧師 高橋勝義

イスラエルのエジプト脱出という神の計画のリーダーに選ばれたモーセでしたが、「ああ、わが主よ、どうかほかの人を遣わしてください」と尻込みします。しかし神は、彼の弱さを受け入れ、兄アロンをモーセの代弁者として立ててくださいました。

モーセは義父イテロの承諾を得て、神の杖を手に持ち、妻や息子たちを連れてエジプトの地に向かいます。神はモーセに、ご自身が授けたすべての不思議をファラオの前で行い、「わたしの子(イスラエルの民)を去らせて、彼らがわたしに仕えるようにせよ。もし去らせるのを拒むなら、見よ、わたしはあなたの子、あなたの長子を殺す。と言え」と語られます。旅の一夜を明かす場所で、主はモーセに会い、彼を殺そうとしたため、妻ツィポラは火打石を取り、自分の息子に割礼をし、その切り取った包皮をモーセの両足に付けて「まことに、あなたは私には血の花婿です」と言いました。すると、主はモーセを放されたのです。

割礼は、神とアブラハムとの契約のしるしであり、また彼の子孫との間の代々にわたる永遠の契約のしるしです。イスラエルの指導者となるモーセが、この割礼を自分の息子たちに行っていなかったために起きた事件でした。

割礼の本来の意味について、パウロは「彼(アブラハム)は、割礼を受けていないときに信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです(ローマ4:11)」と語っています。つまり、キリストを救い主と信じる信仰によってアブラハムの霊的子孫とされた私たちは、聖霊による心の割礼(自分中心から神中心の歩みに移された)を受けたのです。 ですから、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい(へブル12:2)」が大事なことなのです。