牧師 高橋勝義 |
〔出エジプト4章27~31節〕
神は人前で語ることが苦手なモーセの助け手として、兄アロンを代弁者とすることを約束し、約束通り兄のアロンに「荒野に行って、モーセに会え」と告げました。神の声を聞いたアロンは直ちに、神の山ホレブの荒野に出かけ、そこでモーセと再会したのです。モーセは自分に語られた主のすべてのことばと、命じられたしるしのすべてをアロンに告げます。
モーセとアロンは、“神の語られたすべてのことば”と“神のしるし”を胸に刻み、エジプトに向かい、ゴシェンの地に着くとすぐ、イスラエルの長老たちのすべてを集めました。アロンは、主がモーセに語られたことばをみな語り、民の目の前でしるしを行ったのです。そのしるしを見た民は神を信じ、主が自分たちイスラエルを顧み、その苦しみをご覧になったことを聞き、ひざまずいて礼拝したのです。この時、神の愛と真実を知ったイスラエルの民は、すぐにでも解放されることを期待したことでしょう。しかしアロンは、神のことばを伝えた時に、「しかし、わたしが彼(ファラオ)の心を頑なにするので、彼は民を去らせない」と、解放されるまでには様々な困難があることを語っていました。
この箇所から、神のみことばに対する私たちの信仰の姿勢が教えられます。
私たちは、都合の悪いみことばには耳を閉ざし、心地よいみことばに心傾く傾向があります。聖書は「みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようです(ヤコブ1:23)」と警告します。神はみことばを信じ、それに真摯に向き合い、従おうとする人を喜ばれます。そして、その人を決して見捨てることがありません。
「幸いなのは、むしろ神のことばを聞いてそれを守る人たちです(ルカ11:28)」