先日の木曜日の石巻の被災地支援では、夫婦2人で参加させていただき、大変お世話になりました。特に私は車の運転を担当させていただきましたが、さいわい当日の天候も守られ雪道にもならず、無事に終わってほっとしたところです。
私どもは震災後はじめて被災地に入りましたが、震災後10カ月が過ぎ随分片づけられてはいたものの、やはりTVやマスコミ報道で見るのと、実際に現地を訪問するのとでは全然違うものだと痛感しました。
仮設住宅の方々から、「津波時に2階の押入れの天袋で10日間過ごし救出された方」の話や、「ご近所で津波で流された方のことを思うと今でも夜眠れず、24時間TVをつけています」といったお話しをうかがいますと、被災された方々の想像を絶するご経験とご苦労にあらためて心が痛み、言葉もありません。しかし、そうしたなかでも、仮設住宅の集会室には多くの被災者の方々が集ってくださり、衣類等の支援物資の配布やお汁粉等をいただきながら、心を開いていろいろな話をしてくださったり、ともに賛美歌を歌うなど、いい交わりが持てたことに神様の不思議なみわざを感じました。特に、当日集会室を訪問した際、事前に場所の準備をして下さったり、最後まで手を振って見送って下さった熱心な方たちが何人かおり、私は仙台教会の関係者の方かとずっと思っていたのですが、今日はじめて出会った仮設住宅の方であることを後で聞き、はじめて教会が訪問したのに多くの方が心から受け入れて下さっていることに驚き、感謝を覚えました。近所の住宅に支援物資を届けた際、「キリスト教会さんには今回大変お世話になっています。」「(初対面の方に)あなたこの前も来ていただいて感謝です。」と随所で声をかけられました。また、何と言っても仙台教会の方々が、この支援を神様からの召しととらえ、被災者の方に寄り添いたい、悲しみを分かち合いたいとの思いをもってご奉仕にあたられている姿には感銘を受けた次第です。
しかし、それにしても… 女川や石巻の魚市場近辺の惨状は、目を覆うばかりで、言葉もありませんでした。実は私は金融機関に勤務して30年余になりますが、最初の赴任地が仙台で、石巻や女川の漁業・水産加工業関係を担当していたこともあり、当時の石巻や女川のにぎわいや港の様子をよく覚えております。女川は天然の良港に恵まれ、サンマ漁などで大変なにぎわいを見せておりましたし、石巻には水産加工団地があり、練製品やタラコ関係の水産加工場に多くの女工さんたちが集い、切り身やフィレーの加工に腕をふるっておりました。それが今は荒涼たるがれきの山であり、現実とはとても思えないような情景が眼前に展開しております。かつてのにぎわいをよく知っている地元の皆様は、この現実の情景を見るたびにどんなにか心が折れるでしょうし、「復興」と口では言っても本当に容易ではないことを痛感いたします。
被災者の方々の悲しみが消えるのは容易なことではないと思いますが、「悲しむ者はさいわいです。その人たちはなぐさめられるからです。」との言葉が早く実現するよう、お祈りさせていただきます。仮設住宅から帰る際に、1人の被災者のご婦人の方が、「いまだにショックで呆然としているが、皆さんからこれだけ優しさや親切をいただいたのだから、少しずつでも前を向いていかないとね。最近食事をつくるボランティアをはじめました。」と言って下さったのが印象的でした。
震災後10カ月が過ぎ、被災地支援のあり方も、少しずつ変化が必要な時期にきているようであり、いろいろ課題もあるようです。私たちも、自分たちにできることは限られているとは思いますが、細く長く、何らかの支援を続けていきたいと思っております。特に、石巻に伝道するための拠点ができればどんなに素晴らしいだろうかと思いました。
[浦和福音自由教会 黒羽 徹・真由美さん]
今回私は初めて仮設住宅を訪問させていただきました。1月26日朝、仙台福音自由教会を出発し、11時ごろ会場となる渡波第4仮設住宅に到着しました。そして渡波第4仮設住宅を訪問するチームと、20~30m離れた場所にある垂水団地を訪問するチームに分かれて各お宅を訪問しました。2ヶ所併せて38世帯の小規模な仮設住宅です。
戸別訪問時には仙台福音自由教会の皆さんが心を込めて作ってくださった戸別訪問用の食料や生活必需品のパッケージとお米をお渡ししました。私たちが訪問したお宅はほぼご在宅で、皆さんにパッケージとお米を喜んで受け取っていただきました。そのうち、何人かのおばあちゃんたちとお話ができました。
すると、やはり仮設住宅は寒いということと、普段は隣近所で会話をすることがないということを伺いました。仮設住宅のある場所は交通のアクセスが悪く、来る途中にお店も見当たりませんでした。そのような寂しい場所で、震災の記憶と共に日常を過ごすことはとても辛いことだと思います。またそれだけではなく、住人の方にとっては仮設住宅の閉鎖期限のことや雇用問題など将来の不安も大きいはずです。その上、周りの方たちとのつながりがなければさらに孤立してしまうと感じました。
戸別訪問とほぼ平行して、渡波第4仮設住宅の集会所では衣類等の支援物資の配給とお汁粉の炊き出しが行われました。事前にチラシも配られていたそうですが、戸別訪問した際にも声をかけたところ、数名の方たちが参加してくださいました。
短い時間でしたが、お汁粉をいただきながら皆さんのお話を伺い、一緒に動揺や賛美歌を歌い、最後に真知子先生がお祈りをささげてこの日の訪問を終えました。仮設住宅に住む皆さんが落ち着いて安心して暮らせる日が1日でも早く訪れることを祈るばかりです。
[東京武蔵野福音自由教会 松原 泉さん]