2012年7月19日 「仮設石巻バイパス仮設西地区 支援活動」(第40回)

〇支援場所 仮設石巻バイパス仮設西地区108世帯
〇奉仕者 約28名
〇支援内容 宣教師夫人によるクラフト(ステンシル)教室手伝い、カフェ手伝い、物資配布、おにぎりとお茶の提供、戸別訪問による個配キット配布

前回の失敗を踏まえ、早めの時間に到着しました。物資はクラフト教室の隣の部屋に準備し、主にクラフト教室の参加者にお配りしました。

戸外のキャンピングカーによるカフェには米国からのボランティアさんが8名ほどおられ仮設の人と挨拶を交わしたり、ギターと歌(ナント日本語による日本の歌!)を聞かせてくれたりですっかり和みの場となっていました。

戸別訪問は4チームに分かれ、担当棟を廻りました。私は前回お配り出来なかった東地区から戸別訪問をしました。一人暮らしの男性は以前は45坪の一軒家に住んでいたので狭い仮設が少しでも広く感じられるように仕切り戸をはずしているとの事。被災時は家の2階で津波を目撃し、逃げようと思った時には、階段上まで波が来て、引き潮の時にぬるぬるしながら階下に下りたが、瓦礫で一杯になった玄関からは出られず他の場所から出たのだとお話して下さいました。女川町との面談が始まっており、住居のことはこれから決まるようでした。元の家は残ったが、加工した魚が家中に入り込み、腐って住める状態でなく撤去してもらったそうです。

お会いした二人の若いお母さんは、女川町には住みたくない、海のそばは嫌だと、用事で女川に出かけると涙が出ていたが、最近やっと泣かなくなったと言われました。義務教育の場合は学校まで送迎バスがあるそうですが、高校は自前の送迎なので時間制限があり、仕事がなかなかみつからないとのことでした。

息子さんと娘さんと暮らしている婦人は被災した日は石巻の親戚の家に行っていて地震後、タクシーで女川に向かったけれど途中で津波のことを知り、そのまま避難したと言う事でした。あの日、自宅にいた息子さんは軽自動車に乗って裏の高台に行ったが、隣の家族がいたので一緒に避難しようとまた自宅に戻り、普通車で駆けつけて避難したが、隣の家族のその場から離れてしまった方は置いてきてしまい、その方は犠牲になったと言う事でした。家族3人会うまで3日かかったとのことでした。避難時、使用した普通車は以前、亡くなったご主人の車で車検が切れた今も部屋の前に置いておられました。

[高橋裕子・記]