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〔民数記9章1~14節〕
神は、エジプトからイスラエルを救い出すために、エジプトの地の長子は家畜もすべて打ち、門柱と鴨居に羊の血を塗ったイスラエルの家だけを過ぎ越されたのです。神は、これを過越の祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟とし(出エジプト12:14)、また「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ(出エジプト12:2」と命じられました。過越の祭りは、エジプトからの脱出を記念するとても重要な祭りなのです。
エジプト脱出から2年の月日が流れるなか、神は一か月遅れとなる過越の祭りを行うように、イスラエルに告げられました。過越の祭りは、神の愛と恵み、そしてあわれみを覚え、自分たちがどのようにして救い出されたのか、常に立ち返るべき大事な原点なのです。同様にキリストを救い主と信じる私たちにも、大事な原点があります。それはパウロが語る「キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと(Ⅰコリント15:3,4)」です。それは「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(Ⅰヨハネ4:10)」と語られている通りです。
ところが、パウロが宣べ伝えた福音とは違う異なる福音が語られていたのです。それゆえ、ペテロは「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。(使徒4:12)」と宣言したのです。
「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です(Ⅰコリント1:18)」