牧師 高橋勝義 |
〔レビ記27章30~34節〕
神は「地の十分の一は、地の産物であれ木の実であれ、すべて主のものである。それは主の聖なるものである。」と告げられました。私たちの意識の中には、このような思いが果たしてあるでしょうか。そして、神は「あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか』と。十分の一と奉納物においてだ。あなたがたは、甚だしくのろわれている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民のすべてが盗んでいる。(マラキ3:8,9)」と語っています。それゆえ「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。─万軍の主は言われる─わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。(マラキ3:10)」と問いかけています。
さて、パリサイ人は、イエス様を試して「カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか」と尋ねました。イエス様は彼らの欺瞞を見抜き、デリカ金貨を持ってこさせ「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」と答えたのです (マルコ12:13~17)。その意味するところは、税金は国民の義務として納める、そして神が創造された地の恵みを頂いて生かされていることに感謝し、収入の十分の一を神に献げなさいと語られたのです。生きていくだけでも大変なのに、さらに神に献げる…戸惑うばかりです。
ところが、神は「わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。わたしを試してみよ。」と私たちにチャレンジを促しておられるのです。あなたは、このチャレンジにどのように応答しますか。