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〔レビ記27章1~29節〕
神はこれまで、いけにえ(ささげ物)について、細かく規定を定めイスラエルの子らにそれらを守るように命じました。それは、彼らが神の民として歩むためであり、同時に神のきよさを汚さないようにするためでした。神は民が自らの意志で自発的に主のために献げようとする心を尊重し、その思いを表せるように、献げるものの評価額を定められたのです。また、自発的に特別な誓願を立てる思いが与えられた場合には、それぞれ相応しい評価額に従って聖所のシェケルで納めるようにとされました。
しかしいつしか、神の定められた規定を守ることが重要になり、また、自分たちは神の選ばれた民であると、その使命を忘れ、傲慢になっていったのです。それゆえに、神は「もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙、それはわたしの忌み嫌うもの。新月の祭り、安息日、会合の召集─わたしは、不義と、きよめの集会に耐えられない。(イザヤ1:13)」と言わなければならなかったのです。心の伴わない形式的なささげ物ほど、空しいものはないからです。彼らの心は、神を信じ、信頼して歩む信仰からずれていったのです。
さて、私たちも主のためにという思いが与えられ、自分にできることを始めるのですが、気が付くと、イエス様への感謝や喜びが薄れ、重荷になり形式的なものになってしまってはいないでしょうか。人の心はいとも簡単に、傲慢に陥ってしまうのです。
ですから、神は「主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか、主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。(ミカ6:8)」とあなたに語りかけています。