牧師コラム 『腐ったマナ』 2022年9月4日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト16:1~21〕
エジプトを出てから約一か月、イスラエルの大集団はシンの荒野にやって来ました。見渡す限り何もない荒野を前に、疲れきった民たちは口々に、「エジプトの地でわれわれは主の手にかかって死んでいたらよかったのだ。あなたがたは、われわれをこの荒野に連れてきて飢え死にさせようとしている。」とモーセとアロンを非難します。

民の不平を聞かれた主は、モーセに『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りる。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知る。』と告げます。すると夕暮れ時にうずらが飛んで来て宿営をおおい、朝になるとマナという食物があたり一面に露のように降りたのです。モーセは、「これは主があなたがたに食物として下さったパンだから、自分の天幕にいる人数に応じて、それを取るよう」と命じます。ところが彼らの中のある者は、モーセの言うことを聞かず、朝までその一部を残しておいたのです。すると、それは臭くなり、虫がわいてしまいました。

モーセは彼らの不信仰に怒りました。聖書には「この犬どもは貪欲で、足ることを知らない(イザヤ56:11)」との厳しい言葉があります。私たちの内に潜む貪欲は、自分の利益を追い求め、神のみことばまでも削ったり、つけ加えたりして、神の命令に背を向けます。

この貪欲をそのまま放っておくならば、神は、「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます(ヤコブ1:15)」と私たちに警告します。しかし、気づいた罪を告白するならば、神はすべての不義から私たちをきよめてくださり(Ⅰヨハネ1:9)、私たちが悪臭を放つ腐ったマナにならないようにしてくださるのです。
神の愛と恵みに心から感謝しましょう。