牧師コラム 『みことばの力』 2019年8月4日

牧師 高橋勝義

イスラエルを解放して下さるお方、と期待したイエス様が十字架で死んでしまった。
この悲しみと失望を抱えて、エマオに向かって歩く二人の弟子に、イエス様が近づき、「歩きながら語り合っているその話は何のことですか(ルカ24:15)」と声をかけ、一緒に歩き始められたのです。彼らには、それがイエス様だとは分からず、エルサレムで起こった出来事を話しました。

すると、イエス様は「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。キリストは必ずそのような苦しみを受け、それから、その栄光に入るはずだったのではありませんか。」、さらにモーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされたのです。(ルカ24:25~27)
しかし、なお二人の弟子の目はさえぎられており、このお方が、イエス様であると分からなかったのです。夕刻になり、一緒に泊まることにしたイエス様は食卓でパンを取り、神をほめたたえ、裂いて彼らに渡されました。すると彼らの目が開かれ、イエス様だと分かり、同時に、その姿は見えなくなりました。

その時、二人はイエス様が自分たちに聖書を説き明かし、教えてくださる間、自分たちの心が内で燃えていたことに気付かされるのです。

復活されたイエス様と私たちが出会う場所のひとつはみことば(聖書)です。
みことばにふれる時、さえぎられた心の目が開かれ、まことの神が分かるのです。
そして、みことばをただ聞くだけではなく、信じて歩む時、「あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です(詩篇119:105)」となっていくのです。