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作家武者小路実篤は、「この道より、我を生かす道はなし、この道を歩む」と語りました。人は、自分を生かす道を探し求めながら歩んでいるのです。
しかし、その道を見つけ出せず葛藤しながら、生きているのも、また現実です。
イエス・キリストは、『誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(ルカ9:23)』と語りました。
「自分を捨てる」「自分の十字架を負う」とは、どのような意味なのでしょうか…。
自分を捨てるとは、まことの神に背を向けて自分中心に生きること(罪)を止めることです。自分中心の生き方から、神中心の生き方に方向転換するのです。
そのために、イエス・キリストが、私たちの罪を身代わりに負い、十字架で死なれたのです。十字架が、自分の力で生きる歩みから、まことの神とともに生きる歩みへと方向転換させてくれるのです。
神に頼る生き方は、人生の敗北者のように感じますが、そうではありません。
本来のあなた自身が現わされ、生き生きと生きていくことができるのです。
そして、まことの神が、あなたに与えている使命を明らかにしてくれるのです。
日々自分の十字架を負うとは、まことの神が自分に与えている使命を自覚して、その使命をどうすれば果たせるか、日々格闘しながら歩むことを指しています。
これが、自分の十字架を負うことの意味であり、十字架の道は、あなたを生かす道となるのです。
ですから、イエス・キリストは、『わたしについて来なさい』と語るのです。