栗原延元牧師 |
イエスは、12弟子を任命して使徒と名づけました。
この使徒たちが全世界に遣わされてキリスト教会が
築き上げられて行くのですが、弟子たちを教育して使徒とするために、
イエスは苦労したのです。
12人の弟子たちの間でいつしか<だれが一番偉いか>が
論争になっていたからです。
このような論議が、イエスをメシヤ(救い主)と信じる信仰者たちに
ふさわしくないと彼らは感じとっていましたから、
<道で何を論じ合っていたのか>とイエスに尋ねられた時、
彼らは黙っていたのです。
それでイエスは一人の子供を連れて来て、幼子たちを大切にするように、
イエスの名のゆえに受け入れるようにと諭すのです(マルコ9:33~37)。
しかし12弟子たちはイエスの最後の晩餐の中でも、
自分たちの中では誰が一番偉いだろうかと議論するのです(ルカ22:24)。
どこに人間が人間である故に尊敬される世界があるのでしょう。
宗教は余程注意しないと、その教え故にヒエラルキー(人を支配する階級)を
形成しやすいのです。
人間を格付け、あるいは順位付けする領域から解放するものは
「恵み」による救いというキリストの福音に立脚することです。