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〔民数記11章31~35節〕
『ああ、肉が食べたい。エジプトは良かった。』と不平を言う民に、神は「嫌というほど肉を食べさせる」と言われました。しかしモーセは、「この多くの民にどのようにして肉を用意するのですか」と問います。すると、神は、「この主の手が短いというのか。わたしのことばが実現するかどうかは、今に分かる。」と答えられました。そして、海の向こうから吹く東風に乗り、うずらが飛んできて宿営の近くに落下し、なんと宿営の周囲約一日の道のりに高さ約88㎝ほどにびっしり敷き詰めたようになりました。しかし、民は肉が与えられたことに感謝せず、また朝ごとにマナを与えてくださる神様であることも忘れ、先を心配し、自分たちの知恵に頼り、うずらの肉を干して保存食にしたのです。
神はご自身を信じようとしない民のこの行動に怒り、民を疫病で打たれたのです。
「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。(伝道者の書5:10)」とあるように、私たちの貪欲は尽きません。私たちもイスラエルの民と同じなのです。それゆえ、イエス様は、私たちに「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。(マタイ6:33)」と語っています。
頭では分かっていても、どうしても日々の生活のことや先のことなどが気がかりになってしまいます。では、どうすればよいのでしょうか。「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな(詩篇103:2)」とあるように、神の恵みを数えるとき、今まで気づかなかった神の恵みを知り、神への信仰、そして感謝が生まれてくるのではないでしょうか。 「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヘブル13:5)