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イエス・キリストはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登りました。
そして、祈っておられると御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝き、その姿が変貌されたのです。
弟子の一人であるペテロは、イエス・キリストの変貌に驚き、訳の分からないことを言い出しました。毎日見ている姿とは、全く違っていたからです。
神であるのに、真の人となってこの世に来られたイエス・キリストが、まことの神であることを明らかにされたのです。
「神が人となる。」人間の理性ではとても理解できないことです。
しかし、聖書は『キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。(ピリピ2:6~8)』と語っています。
神の愛は、私たちを滅びから救い、永遠のいのちを与えるために、人のすべての罪をイエス・キリストに身代わりとして負わせるほど深い愛なのです。
ですから、人間の理性を遥かに超えているのは、当然のことなのです。
十字架は、神に背を向けた私たちの歩みが誤りであることを示し、私たちに、神と共に歩む正しい歩みへと導く、神の愛のしるしなのです。
そして、『実に十字架の死にまでも従われた』イエス・キリストは、十字架の死から三日目によみがえられました。人として歩まれたイエス・キリストは、私たちの苦しみや悩みをよく御存知です。
このお方が、いつもあなたのかたわらにいて下さるのです。