2019年6月6日 クラフト教室・支援報告 第189回

・日時:2019年6月6日
・参加者:11名
・奉仕者:仙台教会5名、石巻教会1名

「お薬手帳カバ- (2)」製作

チャペルタイム
「6000人の命を救った外交官」
賛美:「主イエスの愛は」

今月も先月に引き続き、製作は「お薬手帳カバ-」です。

いよいよ、内ポケットを作り、おしゃれなレ-スのファスナ-を付けて、仕上げのパイピングです。そして、可愛いお花の飾りボタンをつけたタブを取り付けると完成です。
診察カ-ドも収納できる素敵なカバ-は,きっと病院通いのお供になることでしょう。
今日のチャペルタイムは、皆さんに鉛筆が配られ、何やら「中間テスト💦」という声も。
毎回、賛美曲と、みことば( すてきな季節の花のイラスト入り )が印刷された紙が配られるのですが、今月は先月と同じみことばで、第Ⅱコリント13章13節。「こういうわけで、いつまでも残るのは〇〇と〇〇と〇、これら三つです。その中で一番すぐれているのは〇です。」でした。この〇の中に「信仰」「希望」「愛」をそれぞれが鉛筆で記入しました。
読む、耳で聞く、だけでなく実際に書いてみることは、心に残るのだな…と思いました。

お話しは、第二次世界大戦下のリトアニア日本領事館員杉原千畝氏についてでした。
彼は、ポ-ランドからナチスのユダヤ人大虐殺を逃れてきたユダヤ人難民たちの最後の脱出ル-ト( シベリアから日本経由の米国入国 ) に必要な日本通過ビザを、本国の意向に反して発給し続けた外交官です。ハリストス正教会のクリスチャンでもあった彼が、苦しみ悩んだ末に出した結論は「ビザを出さなかったら、神に背くことだ。私は自分の責任において明日から発行する」でした。そして、たった一人の領事館員だった彼は、朝から夜遅くまで一日に百枚以上ものビザを、ひたすらキリストにある人道愛に燃えて書き続けたのです。
ソ連軍のリトアニア併合にともない、ベルリン退去命令が出された後も、汽車が走り出すギリギリまで、窓から身を乗り出して書き続けました。この時、杉原一人が書いたビザは2139通で、家族兼用の旅券所持者も含めると、約6000人に上ると言われています。
杉原がビザを書いてから28年後の1968年、イスラエル大使館の参事官ニシュリから面会を求められ、出向いた彼にニシュリが見せたのは、ボロボロになった一枚のビザでした。そして、翌年、彼はイスラエルに招かれ、イスラエル政府より「諸国民の中の正義の人賞」を日本人として初めて授与されました。
このことが報道された時、彼はただ一言「当然のことをしただけです。」と謙遜に語りました。神の愛に裏打ちされた勇気と犠牲の行動に、クラフト教室の皆さんも、うなずきながら耳を傾けておられました。