2011年4月4日「続・石巻救援ミッション」

今日は、昨晩から夜を徹して埼玉の地より駆けつけて下さった横山師、牧師、日名神学生を、早朝にお迎え致しました。先生方は、大量の生鮮野菜をワゴン車一杯に積み込んで駆けつけて下さいました。被災地では、保存食料はあっても野菜は皆無に等しい、という場所があります。そのような場所では栄養が炭水化物に偏ってしまい、体調を崩しやすくなります。その意味でも野菜は重要ですから感謝です。
先生方に休憩をとって頂いた後、再び石巻の地を目指しました。今日は、同盟福音のGさんから頼まれた個人宅への物資輸送ミッション、そして泥に使った基督兄弟団・石巻キリスト教会の掃除ミッションが任務です。このため、高圧洗浄機を持参しました。これは数年前、我が家の下水管が詰まったときに購入したもので、普段あまり使う機会が無かったのですが、浸水被害を受けた場所の清掃では、恐ろしいほど大活躍してくれます(もちろん、こんな形で生かされるとは、購入当初は予想だにしませんでしたが…)。
石巻行きはもうこれで三度目になりますが、ガソリン事情の好転に伴って別の問題が発生しました。「渋滞」です。仙台と石巻を結ぶ国道45号線が大渋滞で、非常に時間がかかり、順調なら1時間45分の所が、2時間30分もかかってしまいました。しかし、渋滞を迂回する際に石巻港方面を回ったため、津波の被害のすさまじさをまた体験することができました。このあたりの津波の高さは、おそらく4~5m程度と予想されますが、大穴の開いた道路、おもちゃのように転がったディーゼル機関車、製紙会社の倉庫に散乱していた、水を吸って使い物にならなくなった巨大なロール紙、なぎ倒された防波堤、漏れ出たオイルに引火したためと思われる、焼け焦げた小学校…。陸前高田や女川町のような「何もない廃墟」とはまた違った、恐るべき被害の実体でした。
そうこうして、やっと到着したのは、石巻市幸町の民家にお住まいのTさんご夫妻でした。水産加工会社を営むTさんは、津波で会社の設備を失いました。ご自宅には自動車が逆さまに飛び込んでおり、母屋には10m先の別の家の上半分が流れてきて斜めに倒れかかるという、恐ろしい構図でした。物資をお届けすると、ガレージで火をおこしていたTさんは私たちにコーヒーを振る舞って下さいました。しばらく、震災から今までの話を伺いました。ここで私たちは、石巻の治安悪化の現状を肌で体験することになりました。被災した家屋から高価なギターを持ち出す高校生。死体の指ごと切り取って指輪を奪う強盗もいたとのことです。もちろん、電気・水・ガスは全く戻っていません。そういう中でも、避難所にいた人が次々と「自宅」に戻って来ています。たとえ浸水し、壊れかかっていようとも、強盗に家財を奪われるよりはましだからです。しかし、夜はどれほど不安が大きいことでしょうか。それでもTさんは、「起こった事は仕方の無いことだ。もう自分はどうやって会社を再建するか、それを考えているんだ。明日はまず重機を2台呼んで、このガレキを撤去する。会社の従業員にも連絡を付けている所だ」と、力強く語って下さいました。私であれば途方に暮れそうな所ですが、何という強さでしょうか。これが東北気質、というものだと私は実感したのでした。但し、もちろんそこには「押し殺した思い」もあるのです。心の中に溜められて、出てこないものがあるのです。彼らがイエス様にそれを打ち明け、知って頂くことができたなら、どんなにか、楽になるだろうか…。そう思いながら、お届けした物資が少しでもキリストの愛を伝えるものであるよう祈るばかりでした。
さて、コーヒーを頂いて少し遅れてしまったのですが、無事石巻キリスト教会に到着し、早速清掃ミッションを行いました。木造家屋の床に水を吹き付ける、という経験は、滅多にあるものではありません。畳が全部ダメになってしまったために、杉材が剥き出しになった床は真っ黒でしたが、幸い高圧洗浄機で見違えるほど綺麗になりました。それと平行して、二手に分かれたもう一方のチームは、翌々日をめどに始めようとしている物資配布所の準備に追われました。膨大な数の段ボール箱をどのように配置すれば最も効率的か。色々と知恵を絞り、めどが付いた所で夕暮れになり、翌日に持ち越すことにしました。この教会で奮闘しておられたのは、基督兄弟団・仙台教会の伊藤牧師の娘さんで、東京で伝道師として労しておられる伊藤宣子先生でした。パワフルに立ち回るその姿には、私たちも大いに励まされるものがありました。
こうして帰路につき、もう少しで教会という所で、大橋先生をリーダーとする関西からの第三次・ボランティアチームが到着したとの知らせが入りました。今日は、夕方にも名古屋から物資を積んだトラックも来て下さっていました。本当に感謝でした。明後日はまた石巻教会に向かいます。