<仮設渡波北部第2団地チーム>
支援先数:32世帯
奉仕者数:仙台教会5名、古川教会3名
支援内容:談話室で集会、クリスマスカード作り、戸別訪問し個配キットをお渡しする。
<石巻バイパス仮設西チーム>
奉仕者数:仙台教会5名
支援内容:クリスマスリース作りお手伝い、御ことばの証
今回は二つのチームに分かれて支援活動を行い、最後に合流して帰仙する、という方式を採りました。 渡波北部第2団地では、到着後、個別訪問班と、集会所でのクリスマスカード作りのお手伝いをする班とに分かれて早速活動を開始しました。 三連休の前日ということもあったでしょうか、仕事や買い物等でお留守の方が多く、軒先に支援キットを置いて次のお宅へ、という場合が多くありました。 また、空き家となっているお宅もいくつかありました。 震災から1年8ヶ月が過ぎ、新しい場所に移って行かれる方も出てきているようです。 そうなると、コミュニティの維持がますます難しくなるなという印象を抱きました。
今回は支援軒数が比較的少なかったこともあり、30分程度で個別訪問は終了し、集会所でのクリスマスカード作りに合流しました。 ただ、こちらも出足は少なく、入居しておられる方で来られたのは合計4名にとどまりました。 しかし、お越し下さる人数が少ないということは、悪い事ばかりではありません。 お一人お一人と、じっくりとお話しをすることができるからです。
私は、被災者でありながら行政の職員として、他の被災者の方のケアの働きをしておられる方とお話しする機会がありました。 お父様が一代で築き上げたお店とその商品を津波で一切失ったこと、女川から津波に追われるようにして石巻に戻ってきたそのお父様が家に着くと同時に津波が襲来し、プカプカと浮く車から必至で助け出し、背負って2階に上がって何とか助かったこと、「逃げて!」と自分に叫んでくれた近所の婦人が亡くなっていたことを後で知ったこと、ご近所のご友人の安否については、1年8ヶ月経った今でも、自分からは聞く気になれないということ…、等々、癒しがたい大きな傷跡を伺いました。
この日は小学校が休みだったこともあり、ひとりで留守番をしていた男の子も集会室に来てくれました。 話すうちに、将棋をしないか、外に出てサッカーをしないかと、次々と色々なことをいっしょにすることができました。 彼の小学校は津波の影響で今も使うことが出来ず、スクールバスに乗って遠方の小学校に間借りして通っている、とのことでした。 公園には仮設が立ち並び、普段、思い切り遊ぶことができにくい、ということでした。 変わり果てた自分の町を自転車で行き来するのも結構つらい、親友も亡くなってしまった。でもこうして支援に来てくれた人と知り合えるのが嬉しい…と、とつとつと話してくれました。 分別が尽きつつある年齢とはいえ、彼の心の深い痛みを感じずにはいられませんでした。
次回に会えるのがいつになるか分かりませんが、継続して関わりを持ち続けていくこと、特に「共に遊び、共に時間を過ごすこと」が、被災した子供たちにとって、どれだけ大切かということを、改めて思わされました。 「耳のボランティア」と言われますが、石巻の将来を担う子供たちにとっては、「遊ぶボランティア」も必要とされています。 ぜひお祈り頂けましたら幸いです。
[ 門谷信愛希・記 ]