牧師 高橋勝義 |
〔レビ記23章4~44節〕
神は主の例祭を定められました。主の安息日から始まり、エジプト脱出を記念する過越しと種を入れないパンの祭り、約束の地に入り最初の収穫を祝う初穂の祭り、最初の収穫を献げてから50日目にその後の収穫物を献げる七週の祭り、神とともに歩む決意を新たにする新年の祭り、年に一度大祭司が至聖所に入って行われる大贖罪の日、荒野で仮小屋に住んだことを忘れないための仮庵の祭り、と続きます。神は毎年これらの例祭を行うことを代々守るべき永遠の掟として定められたのです。それは、例祭を通して、エジプトから救い出された神こそがまことの神であることを覚え、神への感謝と信仰を新たにさせるためでした。
私たちは困難や試練に会うと、恐れや不安、そして思い煩いに苦しめられます。それゆえ詩篇の作者は「わがたましいよ主をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)」と語っています。アブラムは、神から「星を数えられるなら、あなたの子孫はこのようになる」と語られたとき、主を信じました(創世記15:6)。おそらく、彼は信仰によって神の恵みが子孫に注がれている様を見ていたのでしょう。そして今、アブラハムの信仰の子孫とされた私たちにも、同様に変わらぬ神の愛と恵みが豊に注がれているのです。ところで、神はあなたの人生にどのようにふれられたでしょうか。それはあなたにとってどんな意味があり、その後のあなたの人生にどんな変化を与えたでしょうか。
あなたは、神とともに歩む人生へと移され、「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出す。(イザヤ46:4)」と神は約束してくださっています。