今日のメッセージ 『神からのチャレンジ』 2024年8月4日

 牧師 高橋勝義

〔レビ記22章17~33節〕

 神は誓願のささげ物、また進んで献げる全焼のささげ物は、牛、羊、あるいはやぎのうち、傷のない雄でなければならない、と命じられました。神に誓願を立てるということは、どうしても叶えて欲しいことがあるからですが、それなのに、神へのささげ物を惜しんで、傷のあるものを献げるというのは矛盾です。神に最上のものを用意するのが、当然なのではないでしょうか。ささげ物は、あなた自身の心の表れだからです。

 サウル王は敵のすべてを聖絶するようにと、神に命じられていたにもかかわらず、惜しむ心から最も良いものを残し、つまらない値打ちのないものだけを聖絶しました (Ⅰサムエル15:9) 。これに対しアブラハムが、やっと与えられた最愛の息子イサクを神のことばに聞き従って、全焼のいけにえとして献げようとした行動とはまるで対照的です(創世記22:12)。

 「私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。(ローマ8:32)」とあるように、神は私たちを罪から救い出すために、愛するひとり子であるイエス・キリストを十字架の死に渡されたのです。これほどまでに私たちを愛しておられる神が、私たちに恵みを注いでくださらないはずはありません。イエス様は「あなたがたは、信じて祈り求めるものは何でも受けることになります(マタイ21:22)」と語っています。

 「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。(マタイ7:7,8)」さあ、神を信じ、チャレンジを始めましょう。