今日のメッセージ 『キリストのいのちに生きる』 2024年6月23日

 牧師 高橋勝義

〔レビ記17章1~16節〕

 神が幕屋を建てるように命じたのは、イスラエルの民にまことの神を礼拝させるためでした。そして、神は幕屋以外では献げ物をささげないように命じました。それは雄やぎの偶像にいけにえを献げるエジプトの習慣を、イスラエルもおこなっていたからです。また『いかなる肉の血も食べてはならない』とも命じられました。人は創造の初め、草や木の実を食していましたが(創世記1:29)、罪が入り、エデンの園を出されてからは、それら以外の肉も食べるようになりました。人は神が創造したものを食べて生かされているのです。神は、いのちの尊さと、生かされていることを教えると同時に、たましいのための宥め(罪の宥め)は、いのちそのものである血が流される以外にないこと、血は罪を償い、たましいを救う代償であるゆえに、『いかなる肉の血も食べてはならない』と命じられたのです。

 神が遣わされたイエス・キリストは、私たちの罪の贖いのために、十字架の上で死んでくださいました。このキリストを救い主と信じるとき、十字架の上で流された血潮、すなわち、キリストのいのちによって、すべての罪が贖われ、永遠のいのちが与えられたのです。そして、私たちは自分のために生きるのではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きる者に変えられたのです(Ⅱコリント5:15)。イエス様も「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」(ヨハネ15:5)と語っておられるように、パウロは『もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです(ガラテヤ2:20)』と告白しています。

 この自覚を持つことが大切であり、聖霊が「キリストのいのちに生きる」歩みへと私たちを導いてくださるのです。(ガラテヤ5:16)