今日のメッセージ 『罪の全き赦し』 2024年6月16日

 牧師 高橋勝義

〔レビ記16章1~34節〕

 神は年に一度、民の罪の赦しのための宥めを、代々にわたり守るように定められました(出エジプト30:10)。アロンの二人の息子ナダブとアビフが死んだ後、主はモーセに、「アロンは垂れ幕の内側の聖所に、時をわきまえずに入ることがないようにせよ。死ぬことのないようにするためである。」と語られ、続いてこの宥めをどのように執り行うかについて告げられました。レビ記16章はこの宥めをする贖罪の日について記されています。

 アロンはからだに水を浴びて聖なる装束を身に着け聖所に入り、自分と自分の家族の罪の償いをし、さらに主の前、会見の天幕の入り口に雄やぎ二頭を立たせて、くじを引き、主のもの(民の罪のためのいけにえ)と、民の罪の身代わりに荒野へ放つアザゼルになるほうを決めます。アザゼルのための雄やぎは、主の前に生きたままで立たせ、アロンはその頭に両手を置き、民のすべての罪を告白します。そして、民の罪を頭の上に載せた雄やぎは係りの者の手で荒野に追いやられます。これは年に一度、イスラエルの子らのすべての罪を除くために行われる宥めであり、永遠の掟でした。

 神は「たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとえ、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。(イザヤ1:18)」と約束してくださり、事実この約束は、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊(ヨハネ1:29)」としてこの世に来られたイエス・キリストによって成就しました。私たちの罪のために十字架で流されたイエス・キリストの血潮がすべての罪から私たちをきよめてくださるからです(Ⅰヨハネ1:7)。

 「わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさない(エレミヤ31:34)」