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〔レビ記13章1~59節〕
レビ記13章は「ツァラアトに冒された場合のおしえであり、祭司がそれを調べ、きよい、あるいは汚れていると宣言するためである」と記されています。おそらくツァラアトが人々の日常生活に悪影響を与えていたからでしょう。祭司は患部を調べ、人がツァラアトに冒されていれば、彼を汚れていると宣言し、七日間隔離します。七日目に再び彼を調べ、もし患部が薄れ、その患部が皮膚に広がっていなければ、彼をきよいと宣言します。そして彼は衣服を洗い、きよくなります。また衣服や物にツァラアトが生じた場合も同様に七日間隔離し、その七日後に再び調べ、ツァラアトが広がっているなら悪性なので焼却する、と定めました。
ところで、イエス様はツァラアトに冒されている人に、ご自身の手を伸ばしてさわり、「わたしの心だ。きよくなれ(マタイ8:3)」と言われました。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられ、彼は日常生活、そして社会生活を取り戻したのです。体の表面に現れたツァラアトは目にみえます。では、私たちの心の中はどうでしょうか。
夜通し漁をしたにもかかわらず魚が捕れなかったペテロたちに、主は、深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさいと語られます。ペテロは従いながらも、その心には、漁師の自分たちが魚を捕れなかったのにという反発心がありました。ところが、網も破れんばかりの魚が取れたのです。ですから、ペテロは自分の醜い心に「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」(ルカ5:8)と、主の足元にひれ伏し告白したのです。
イエス様は、体の表面に現れたツァラアトだけではなく、心の中に潜む罪をも明らかにし、その罪のすべてを十字架の血潮によってきよめてくださるのです。「もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:8,9)