牧師 高橋勝義 |
〔レビ記11章1~47節〕
レビ記11章には、陸の生き物、魚など水中の生き物、空を飛ぶ鳥について、食べてよい動物と食べてはならない動物、また、きよい生き物と汚れた生き物について記されています。
それは、「あなたがた(神の民)は聖なる者とならなければならない。わたしが聖だからである。(レビ11:45)」と神が語っているように、イスラエルの民があらゆる汚れや忌むべきものから離れ、聖なる民として生きる姿を通して、近隣諸国の人々に、まことの神がおられることを証し、伝えるためでした。
ところが彼らは、いつしかこの教えを守っている自分たちは「きよく正しい民だ」と思うようになっていました。それに対して、イエス様は、「外から入って、人を汚すことのできるものは何もありません。人の中から出て来るものが、人を汚すのです。(マルコ7:15)」と語られました。食物は人の心に入るのではなく、腹に入り、排泄されるゆえに「すべての食物をきよいとされた(マルコ7:19)」のです。そして、人の内側(心)から出て来るもの、それが人を汚す(マルコ7:21~23)ことを教えられたのです。
事実、私たちの口から出ることばにとげを感じることがあるのは、心の中に「恨み・妬み・嫉み・憎しみ・怒り」などがあるからではないでしょうか。このような私たちですが、神は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」と語られ、あなたへのご自身の愛をイエス・キリストの十字架に現されたのです(Ⅰヨハネ4:10)。
主は、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。(ヨハネ15:9)」と、今日も私たちに語っておられます。