牧師 高橋勝義 |
〔レビ6章8~30節〕
今日の聖書個所には、全焼のささげ物、穀物のささげ物、アロンとその子らが任職の時主に献げるささげ物、罪のきよめのためのささげ物について記されています。
全焼のささげ物は、一晩中、朝まで祭壇で焼き続け、祭壇の火は消してはならない。穀物のささげ物は、祭壇の上で焼いて煙にし、アロンの子らのうち男子はみな、残りの分を種なしパンにして会見の天幕の庭で食べる。しかし、祭司職に任せられるときの主へのささげ物は、すべて完全に焼き尽くし、食べてはならない。罪のきよめのためのささげ物は、全焼のささげ物が屠られる場所、主の前で屠られ、祭司の家系に属する男子はみな、それを聖なる所、会見の天幕の庭で食べる。これは最も聖なるものである。
この「聖なる所、会見の天幕の庭で食べる」とは、神の御臨在の中で「最も聖なるもの」を食べること、つまり、神との交わりの中で、聖なる神の聖さにあずかることを意味します。
イエス様を罪からの救い主と信じた私たちは、今や祭司とされ、同時に「光」の中に召されています(Ⅰペテロ2:9)。イエス様は「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」(ヨハネ8:12)と語られました。その私たちが「光」また「聖」であるために必要なことは、日々の神との交わりです。それは「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない(ヨハネ15:5)」からです。
神と交わることができるのは、イエス様の十字架ゆえであり、私たちはこの恵みの中に生かされているのです。ですから、神はあなたに「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。(エペソ5:8)」と勧めています。