牧師 高橋勝義 |
〔エレミヤ23:1~6〕
まことの神への信仰から離れてしまったイスラエル王国は、南北に分裂し、さらに北王国はアッシリアに滅ぼされ、南王国も大国バビロンの攻撃を受けていました。
ところが、この危機の中にあっても、指導者たちは主が預言者エレミヤに語ったことばに耳を貸そうとはせず、「神の民である自分たちは滅ぼされない」という偽りの預言者のことばを信じ、エジプトを頼みとしていました。その中で預言者エレミヤは、「まことの神に助けを求め、信頼すべき時である」と繰り返し、「わざわいだ。わたしの牧場の群れを滅ぼし散らしている牧者たち」と指導者たちを厳しく責め、神は彼らを罰する、と語ります。
さらにエレミヤは、この背信の世にあっても、最後まで主に忠実に従って歩む民(わたしの群れの残りの者)が残されており、神が彼らに「見よ、その時代が来る。─主のことば─そのとき、わたしはダビデに一つの正しい若枝を起こす。彼は王となって治め、栄えて、この地に公正と義を行う」と語られた希望の約束を伝えたのです。
そして今から約2000年前、神が人となってこの世に来られた事実、このイエス・キリストこそが、約束の「一つの正しい若枝」でした。バプテスマのヨハネは、自分の方に来られるイエス様を見た時、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊(ヨハネ1:29)」と言いました。 「世の罪」、すなわち、私たちが神に背を向けて歩んでいる“罪”の罰をイエス・キリストが十字架で身代わりに受けてくださり義の道を開いてくださったのです。この義の道とは律法の行いによる義ではなく、キリストを罪からの救い主と信じる信仰による義です(ローマ3:28)。
それゆえ、『主(イエス・キリスト)は私たちの義』であり『希望の光』なのです。