牧師 高橋勝義 |
〔出エジプト20:18~26〕
神がモーセを通して十戒をイスラエルの民に授ける中、山は煙に包まれ、雷鳴、稲妻、角笛の音が鳴り響き、民は身震いしながら遠く離れて立っていました。
民がモーセに「あなたが私たちに語ってください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお語りになりませんように。さもないと、私たちは死んでしまいます。」と願うと、モーセは「恐れることはありません。神が来られたのは、あなたがたが正しく神を恐れ、罪から遠ざかるようになるためです。」と、告げます。神はさらに、「銀や金の神々を造ってはならない」と命じ、祭壇を土で造り、その上に全焼のささげ物と交わりのいけにえとして、羊と牛を献げるように命じました。
これは、主を礼拝するためです。
そして「わたしを礼拝するすべての場所であなたがたを祝福する」と約束されたのです。 シナイ山全体を震わす数々のしるしを通して、イスラエルの民は神への恐れに衿を正し、罪から遠ざかります、と心を定めて、「私たちは聞き従います」と信仰の応答をしました。
これらの出来事はすべて神の御配慮、愛でした。しかし時が過ぎると、神へのささげ物やいけにえは、形だけのものとなってしまいました。そして神は今、私たちに「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。(Ⅰサムエル15:22)」と、形式ではなく、キリストを信じた時の喜びに帰ることを促しています。ところで、あなたのささげる礼拝は、イエス・キリストを心から喜び、感謝する礼拝でしょうか。