牧師コラム 『主の御前に近づこう』 2022年11月6日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト19:9~25〕
エジプトを脱出したイスラエルは主の御翼に守られ、シナイ山の麓に導かれて来ました。 「私たちは主の言われたことをすべて行います」と応答するイスラエルの民に、主はモーセを通して、彼らを聖別し、衣服を洗わせ、また民いる麓と主のご臨在される山との間に境界線を設けるようにと告げられます。三日目の朝、雷鳴と稲妻と厚い雲が山の上にあって、角笛の音が非常に高く鳴り響き、民が震え上がる中、主がシナイ山に降りて来られると、シナイ山は全山がかまどの煙のように立ち上り、山全体が激しく震えました。 主は、モーセを山の頂に呼ばれ、モーセは登って行ったのです。

この後、主はイスラエルに聖所(幕屋)を造らせ、その中に至(し)聖所(せいじょ)を設けさせます。 それは「わたしは彼らのただ中に住む(出エ25:8)」ためでした。そして、大きな垂れ幕で仕切られた至聖所には、大祭司だけが年に1度の贖罪の日に、いけにえの動物の血を携え、入っていきました。しかし、イエス・キリストが私たちのすべての罪を負い、十字架の上で血を流され、罪の贖いを成し遂げてくださった時、「神殿の幕(至聖所の幕)が上から下まで真っ二つに裂けた(ルカ15:38)」のです。この至聖所の幕が裂けたことによって、神と私たちの間にあった仕切りが取り除かれ、私たちは神と自由に交わることができるようになったのです。
これは、神の愛であり、恵みなのです。

「ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか(へブル4:16)」