牧師コラム 『主の臨在の中で』 2022年7月31日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト13章17~22節〕
追われるようにエジプトを出発したイスラエルの民でしたが、その時モーセは、400年前のヨセフの遺言通り、その遺骸を携えて出て行きました。

神は、約束の地カナンに向かう民が、「戦いを見て恐れを覚え、心変わりして、エジプトに引き返すといけない」と考え、最短で行けるペリシテ人の地を通る道ではなく、葦の海に向かう荒野の道に回らせました。こうして民はスコテを旅立ち、荒野の端にあるエタムで宿営したのです。一見遠回りに思えるこの荒野の道には、神の深い愛の考えがあったのです。

さらに神は、彼らを導くために、昼は雲の柱の中、また夜には彼らを照らす火の柱の中にいてくださり、彼らの前を進まれたのです。雲の柱、火の柱が、民の前から離れることは決してありませんでした。神がともにいてくださる、そして進むべき道を案内してくださる、という安心感の中で、彼らは昼も夜も進んで行きました。罪に汚れている人間は、聖い神を直接見ることができません。「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである。(出エジプト33:20)」と、警告されているとおりです。それゆえに、神ご自身がいつもともにおられることを、雲の柱、火の柱という見える形によって、示されたのです。同様に主イエス様は、「わたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。(ヨハネ14:16)」と、私たちに約束してくださいました。

キリストを罪からの救い主と信じる者の心の中には、聖霊なる神が住んでくださいます(Ⅰコリント3:16)。主を信じる者は、日々神とともに歩み続けることができるのです。