牧師コラム 『救いの記念』 2022年7月3日

 牧師 高橋勝義

〔エジプト12:1~20〕
「エジプトの長子は王家から奴隷、家畜に至るまで皆死ぬが、イスラエルは守られ、エジプトとイスラエルは区別される」と最後の災いを告げたモーセは、王の前を立ち去りました。 そして主はモーセとアロンに、「イスラエル全家の二本の門柱と鴨居に子羊の血を塗るように。またこれから先、ユダヤでは過ぎ越しと出エジプトを記念して、この月を年の最初の月とせよ。さらにこの夜の出来事をいつまでも覚えるために、過ぎ越しのまつりとして、それを永遠の記念とするように」と命じました。

エジプトに災いが下されたその夜、二本の門柱と鴨居に子羊の血が塗られたイスラエルの家を主は過ぎ越され、イスラエルは守られました。この事実はイエス・キリストの十字架の救いを示しており、世界中の主の教会では聖餐式を守り続けています。イエス様は十字架に掛かられる前夜、弟子たちにパンを裂いて与え「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。(ルカ22:19,20)」と言われました。聖餐式を通して私たちは、主が十字架の上で流された血潮は、私の罪を贖い、私を救うためであると覚え、感謝するのです。キリストのいのちが私の罪のために献げられたこと、これほどまでに私を愛してくださる神を覚えるためなのです。

ですから、主の命令である聖餐式は私たちの救いの記念であり、信仰生活にとって欠かせないことなのです。「キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。(Ⅰヨハネ:16)」