牧師コラム 『取り分けられた神の民』 2022年6月26日

 牧師 高橋勝義

〔出エジプト11章1~10節〕
頑なにイスラエルの民を去らせようとしないファラオに、いよいよ神の最終通告が告げられる時がきました。それは「エジプトの長子は皆死ぬ、王の長子から奴隷の長子、さらに家畜の長子にまで及ぶ。しかしイスラエルの民は守られ、はっきりとエジプトとイスラエルは区別され、さらにファラオの家臣たちはひれ伏して『あなたもあなたに従う民もみな、出て行ってください』と懇願する」という内容でした。
また、その際には隣人に銀の飾りや金の飾りを求めるように、とも告げられました。事実、神はエジプトがこの民に好意を持つようにされ、モーセもエジプトの地でファラオの家臣と民にたいへん尊敬されたのです。

「主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた(申命記14:2)」とあるように、神はイスラエルの民をご自分の民として選び取り分けられました。

同様に、「あなたがたは信仰(イエス様を罪からの救い主と信じること)によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物(プレゼント)です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:8,9)」とあるように、今、私たちはイエス・キリストの十字架の贖いゆえに神の民とされ、神の宝の民として取り分けられ、永遠のいのちが与えられ、天国への切符を手にすることができています。家柄や地位、財産や能力、良い行いではなく、ただイエス・キリストを信じる信仰のゆえです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ:16)」