牧師 高橋勝義 |
〔聖書箇所:出エジプト3章15~22節〕
ゴシェンの地に住んだイスラエルの民は、神がアブラハムに語られた約束どおり、エジプトの肥沃な土地で増え広がりました。しかしその生活は過酷な奴隷生活であり、苦しむ民は神に助けを叫びました。神はいつも彼らのことを気にかけておられ、民の叫びを聞かれ、ひとりの男児モーセを選んだのです。男児は殺されなければならないという命令をすり抜けるようにして助けられ、宮殿で最高の教育を受けます。しかし彼はエジプトを追われ、シナイ半島の荒野で40年間羊飼いとして過ごすことになったのですが、これこそが自分の力に頼らず神に信頼する訓練であり、指導者としての備えの時だったのです。
神は、モーセに「今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」と命じられました。
モーセにとってはエジプトは同胞に否定された場所、行きたくない場所でした。
しかし、神はモーセに「わたしが、あなたとともにいる」と約束し、また「必ず顧みてくださる神」であることを示され、ファラオに『私たちに荒野へ三日の道のりを行かせ、私たちの神、主にいけにえを献げさせてください』と言えと命じるのです。
私たちは出口の見えない困難にあうと、神は本当に私のことを顧みてくださるのだろうかと思ってしまいます。しかし聖書は「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。(Ⅰコリント10:13)」と約束しています。この約束を信じて歩みましょう。