牧師 高橋勝義 |
エジプトの地でイスラエルの民は存亡危機にさらされていました。神を恐れる助産婦らによって男児の命は守られたものの、さらに「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込め」との命令が出されます。そのような中、あるレビの家族に男の子が産まれ、可愛さゆえ三か月間内密に育てられますが、隠しきれなくなり、ついにその子はかごに入れられ、ナイル川の葦の茂みの中に置かれたのです。すると、水浴びにきたファラオの娘に助けられ、なんと大きくなるまでは実母に育てられます。やがて名をモーセとつけられ、王女の子として、宮殿で大きくなりました。大人になったモーセはある日、ひとりのヘブル人が苦役の中でエジプト人に打たれる姿を見たのです。彼はだれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺し、砂の中に埋めました。次の日、また外に出てみると、二人のヘブル人が争っており、モーセが悪いほうに「どうして自分の仲間を打つのか」と言うと、「だれがおまえを、指導者やさばき人として私たちの上に任命したのか。おまえは、あのエジプト人を殺したように、私も殺そうというのか。」と言われてしまいます。彼は恐れ、またファラオが命を狙っているため、ミディアンの地に逃れます。
モーセの失敗は、他人事ではありません。私たちは、自分の正義を盾に行動を起こしやすいものですが、その正義には怒りやさばきのフィルターが掛かっていることが多いのです。 ですから、モーセも「神よ、なぜ同胞の苦しみをそのままにされるのですか。私はあのエジプト人への怒りが抑えられません。私はどうすれば良いのですか…。」と主の名を呼び祈るべきでした。
聖書は「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。(イザヤ30:15)」と語っています。