牧師 高橋勝義 |
ヨセフの時代から時が過ぎ、イスラエルの民は神がアブラハムに約束したとおり増え広がり、それはエジプトの脅威となっていました。さらに過酷な労働によって生活が苦しめられても、なお民は増え広がったのです。すると、エジプト王はヘブル人の助産婦シフラとプアに「ヘブル人の女の出産を助けるとき、産み台の上を見て、もし男の子なら、殺さなければならない。女の子なら、生かしておけ。」と命じます。しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王の命には従わず、男の子を生かしておいたのです。さらに、命令を出したにもかかわらず男児出産が続くことを王が問いただすと、助産婦たちは「ヘブル人の女はエジプト人の女とは違い、元気で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」と答えるのでした。 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせました。
今から約3500年も昔のヘブル人助産婦シフラとプアの名前がこのようにはっきりと聖書に記され残されているのは、神御自身を恐れて歩むことを、神が何よりも喜ばれるからです。そして王は、「生まれた男の子はみな、ナイル川に投げ込まなければならない。女の子はみな、生かしておかなければならない。」と命令を変えたのです。(出エジプト1:15~22)
私たちの日常生活に目を向けるならば、「長い物には巻かれろ」の諺のように、権力には逆らわない生き方が得策であり、この世を生き抜く処世術とされがちです。
聖書は「人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。」(箴言29:25)と私たちに語ります。まさにこの助産婦たちのように、すべてをご支配しておられる創造主なる神を信じ、従う歩みこそが、人の歩みを確かなものにするのです。