牧師コラム 『神の約束を待ち望む信仰』 2022年1月2日

牧師 高橋勝義

時は流れ、ヨセフもその兄弟たちも、その時代の人々はみな死にました。しかしイスラエルの子らは増えて非常に強くなり、エジプトは彼らで満ちていったのです。やがて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こり、エジプト人は「見よ。イスラエルの民はわれわれよりも多く、また強い。さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くことがないように。」と彼らを重い労役で苦しめますが、イスラエルの民は、苦しめれば苦しめるほどますます増え広がり、人々はこの民を恐れました。そして漆喰やれんが作りの激しい労働、畑のあらゆる労働など、過酷な労働で、彼らの生活をさらに苦しめたのです。(出エジプト1:1~14)

ヨセフが生きていた時代の穏やかな日々は失われ、彼らは苦しみの毎日を送っていました。 これは神がアブラハムに「あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。」と語られたとおりであり、「しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。」(創世記15:13,14)との神の約束の始まりでもありました。神はご自分の民、すなわちキリストによって救われ、神の子となった私たちに、意味もなく苦しみを与えるお方ではありません。その苦しみには神の深い意図があるのです。大切なことはどのような時も、神の約束に堅く立ち、主を信じる信仰なのです。

「主はご自分の契約をとこしえに覚えておられる。命じられたみことばを千代までも。(詩篇105:8)」神の約束は決して変わることがありません。