牧師コラム 『まことの神こそが本当の希望』 2022年1月1日

牧師 高橋勝義

本日の聖書箇所「哀歌」の著者とされているエレミヤは、今から約2650年前に預言者として神の召命を受け、イスラエルの民がバビロンの捕囚となり、国が崩壊する時代に涙をもって神に立ち返る信仰を説いた預言者です。当時ユダ王国は、大帝国バビロンから攻撃を受けていました。そのさなか、エレミヤは「バビロンの王ネブカドネツァルに降伏して、彼に仕えよ」という神のことばを語ったのです。この神のことばは、王や首長たちに歓迎されるはずがなく、彼らの怒りを買い、エレミヤは様々な迫害を受けたのです。神の民と自負するユダ王国の人々にとって、敗戦はありえないこと、「降伏」することは屈辱の何物でもないからでした。同胞からの迫害や、死の危険にさらされる中で、エレミヤは滅びゆく国と民を思い、民に向かって、神に背を向けた罪を悔い改め、神に立ち返るように説き、祈ったのです。

しかし預言通り、ユダはバビロンに滅ぼされ、民は捕囚となってバビロンに引いて行かれました。「降伏せよ」との神のことばは、神がイスラエルの民を思うゆえでした。事実、神は「バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。(エレミヤ29:10)」との約束をくださっています。さらに「主は、いつまでも見放してはおられない。主は、たとえ悲しみを与えたとしても、その豊かな恵みによって、人をあわれまれる。主が人の子らを、意味もなく、苦しめ悩ませることはない。(哀歌3:31~33)」と明日への希望を示しています。

神のご計画こそが、私たちの本当の希望なのです。「それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)」