牧師コラム 『神の祝福を運ぶ者』 2021年10月3日

牧師 高橋勝義

父ヤコブと兄弟たちを無事ゴシェンの地に迎え入れたヨセフは、父をファラオの前に連れて行きます。するとヤコブはファラオを祝福しました。寄留者ヤコブが大国エジプトの王に祝福を授けたのです。ファラオはヤコブに「あなたの生きてきた年月は、どれほどになりますか。」と丁寧に尋ねます。彼は「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」と答えました。(創世記47:1~12)

エジプトを飢饉から救い、誠実にファラオを支え続ける有能なヨセフ、その彼の父と一族にファラオは神の特別な祝福を感じたのではないでしょうか。

若き日のヤコブは父イサクを欺き、兄エサウの祝福を奪った者でした。しかし長い年月を経た今、エジプトの王に神の祝福を祈る者へと変えられていました。それは「わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。(創世記12:3)」とアブラハムに約束された神の祝福をヤコブが受け継ぐ者であったからです。同様にイエス・キリストの十字架の救いを信じる私たちも、霊的な意味でアブラハムの子孫であり、私たちは神の祝福を運ぶ者にされています。

ですからイエス様は、「あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい。(ルカ6:28)」とさらに積極的な思いを求めておられるのです。 聖書は「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい(Ⅰペテロ3:9)」と勧めています。
この祝福は全能の神が与えてくださる、神の愛の祝福です。