牧師コラム 『御霊によって生きる者』 2021年7月11日

牧師 高橋勝義

ヨセフは王の夢を解き明かし、飢饉に備えるために、さとくて知恵のある監督官を任命するようにと、エジプトの王ファラオに進言しました。この進言は、ファラオとすべての家臣たちの心にかない、ヨセフの謙遜で真摯な姿にファラオは「神の霊が宿っているこのような人が、ほかに見つかるだろうか」と家臣たちに話し、「神がこれらすべてのことをおまえに知らされたからには、おまえのように、さとくて知恵のある者は、ほかにはいない。~ おまえが私の家を治めるがよい。私の民はみな、おまえの命令に従うであろう。私がまさっているのは王位だけだ。」と自分の指輪をヨセフの指にはめ、さらにはツァフェナテ・パネアハという名を与え、オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナテを彼の妻として与えたのです。

こうしてヨセフはエジプト全土を監督する者となり、エジプト全土を巡り、飢饉の備えをします。この時、ヨセフは三十歳になっていました。(創世記41:40~46)

ヨセフは兄たちに憎まれエジプトに売られましたが、神はヨセフとともにおられ、彼を祝福します。しかし、濡れ衣による投獄生活、そこに献酌官長の夢の解き明かしと解放への期待、そしてここからさらに二年に及ぶ神の沈黙、と長い年月が過ぎて行きました。

この間、ヨセフの思い描いていた計画のすべては削がれ、神にのみ信頼して生きる者に変えられていったのです。こうしてヨセフは神の霊が宿る者、すなわち、御霊によって生きる者となりました。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。~ キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。(ガラテヤ5:22~24)」