牧師コラム 『神が備えた時』 2021年7月7日

牧師 高橋勝義

王側近の献酌官長と料理官長が、ヨセフのいる監獄に入れられたことに神の御手を覚えたヨセフは、彼らの夢の解き明かしを通して神が動いてくださる、と期待しました。しかし、ファラオへのとりなしを頼んだ献酌官長はヨセフのことを忘れ、時は過ぎて行きます。

聖書は「それから二年後」と記しますが、当のヨセフにはそれが分かるはずはありません。相変わらず牢獄の中で、神の御真実を待ち望む信仰の訓練(ローマ10:11)を受け、神の時を待つ日々を送っていたのです。「私は昔の日々を思い起こしあなたのすべてのみわざに思いを巡らしあなたの御手のわざを静かに考えています。(詩篇143:5)」

その頃、ファラオは同じような夢を二度も見たことに心騒ぎ、エジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せます。しかし、ファラオの夢を解き明かすことのできる者はいなかったのです。ここでようやく献酌官長は、自分と料理官長の夢を解き明かしたヨセフのことを思い出し、ファラオに告げます。すぐにファラオはヨセフを呼び寄せ、「おまえは夢を聞いて、それを解き明かすと聞いたのだが。」と尋ねます。しかしヨセフは「私ではありません。神がファラオの繁栄を知らせてくださるのです。」と答えます。

ヨセフは、ファラオの見た夢は神のなさろうとしていることのお告げだと語り、エジプト全土には七年間の大豊作の後、七年間に及ぶ大飢饉が来る故、さとくて知恵のある人を置き、飢饉に備えて穀物を蓄えるように、と進言したのです。(創世記41:1~36)
「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(Ⅰペテロ5:6)