牧師コラム 『人生の土台』 2021年6月20日

牧師 高橋勝義

兄たちによって売られたヨセフは、エジプト王の侍従長ポティファルに買い取られます。
兄たちの仕打ち、見知らぬ土地での奴隷生活、そのような中で主はヨセフとともにおられ、彼もまた主を見上げ、忠実に奴隷の仕事に励みました。主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た主人は、彼に家と全財産を管理させますが、この時から、主はヨセフのゆえに主人ポティファルの家を祝福されました。ところが、主人の妻が、毎日、ヨセフに言い寄り始めます。なぜなら、彼は体格も良く、顔だちも美しかったからです。

けれども、彼はきっぱりと断り続けますが、ある日、掴まれた上着を彼女の手に残してしまったことで、あらぬ疑いをかけられ、主人の怒りを買い、監獄に入れられてしまいます。
しかし、ここでも主はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施されたので、監獄の長はヨセフを信頼し、囚人の管理を彼に委ね、任せたのです。(創世記39:1~23)

私たちは理不尽なことが起こると、その責任を誰かに押し付けたり、恨んだり、嘆いたりしがちです。ヨセフも、自分が置かれている状況について、いろいろなことを考えたことでしょう。しかし彼は、父ヤコブが神を畏れ、神に従って歩んでいる姿を思い起こし、自らも神を畏れ、神の前に誠実に歩む道を選びました。どう考えても理解できない、喜べないことが自分の身に次々と起こってくる時も、神がともにおられることを信じ続けたのです。

聖書に「あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる(箴言3:6)」とあるように、イエス・キリストを罪からの救い主と信じることが“創造主なるまことの神”を知ることになり、それが人生の土台となるのです。